6月
17日
薩摩の日
歴史的記念日最終更新:
薩摩の日とは
6月17日は「薩摩の日」です。慶応2年(1866年)の旧暦6月17日(新暦では7月28日)、イギリス公使ハリー・パークスが薩摩藩を訪れ、鹿児島の仙巌園(せんがんえん/磯庭園)で盛大な歓迎の宴が開かれたことに由来するとされています。記念日を制定した団体や目的ははっきりしていませんが、幕末の薩摩藩とイギリスの交流を象徴する出来事として紹介されています。
パークスの鹿児島訪問
パークスの訪問は、幕末の薩摩藩が海外と積極的に交流していたことを示す出来事です。
- 軍艦3隻での来航: 前日の6月16日、イギリス海軍のキング提督が率いる軍艦3隻が、約300人の兵士を乗せて錦江湾(鹿児島湾)に姿を現しました。
- 招待状は小松帯刀: パークスへの招待状を書いたのは、薩摩藩の家老・小松帯刀(こまつ たてわき)だったとされます。
- 前年の使節団への返礼: この訪問は、前年の1865年に薩摩藩がイギリスへ送った使節と留学生19名の訪英への返礼の意味もあったといわれます。
5時間に及んだ豪華な宴
仙巌園での宴は5時間にも及び、山と海の珍味45種が並んだと伝えられています。酒も日本酒のほか、シャンパン、シェリー酒、ブランデー、ビールなどが用意され、豪華を極めたといわれます。わずか3年前の1863年には薩英戦争で砲火を交えた両者が、ここまで親しく交流するようになったことは、幕末の情勢の大きな変化を物語っています。
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幕末の薩摩藩とイギリス
- 薩英戦争(1863年): 前年の生麦事件をきっかけに、薩摩藩とイギリス艦隊が鹿児島湾で交戦しました。
- 戦後の接近: 戦いを通じて互いの実力を認め合った薩摩藩とイギリスは、その後急速に関係を深めていきました。
- 薩摩藩英国留学生: 1865年、薩摩藩は国の禁を破って若者たちをイギリスへ送り出しました。その中には、のちに初代文部大臣となる森有礼らもいました。
「薩摩」という名称
薩摩は、現在の鹿児島県西部を中心とした旧国名です。「薩摩」の名は歴史用語としてだけでなく、さつまいも、薩摩焼、薩摩切子、さつま揚げなど、食や工芸の名前にも広く使われています。
薩摩の日の過ごし方
- 幕末の薩摩藩とイギリスの関係について調べてみる
- 鹿児島の仙巌園など、ゆかりの史跡を調べてみる
- さつまいもやさつま揚げなど、「薩摩」の名がつく食べ物を味わってみる
かつての敵とも手を結んだ、薩摩の柔軟さを知る日
6月17日の薩摩の日は、薩英戦争からわずか3年で、イギリス公使を盛大にもてなすまでに関係を変えた薩摩藩の姿に目を向ける日です。対立した相手とも実力を認め合い、学ぶべきところは学ぶ。その柔軟な姿勢が、のちの明治維新につながっていきました。
朝礼・スピーチで使える一言ネタ
今日6月17日は「薩摩の日」です。1866年、イギリス公使パークスが鹿児島を訪れ、5時間に及ぶ宴でもてなされたことが由来とされます。わずか3年前には薩英戦争で戦った相手でした。対立した相手とも手を結べる柔軟さは、今の仕事にも通じるものがありそうです。
朝礼・社内報・スピーチの話題にそのままお使いいただけます。
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