6月
30日
集団疎開の日
歴史的記念日最終更新:
集団疎開の日とは
毎年6月30日は「集団疎開の日」です。1944年(昭和19年)6月30日、太平洋戦争の激化に伴い、東条英機内閣が都市部の学童を空襲から守るため地方へ移す「学童疎開促進要綱」を閣議決定したことに由来します。家族と離れ、慣れない土地で暮らした子どもたちの経験を振り返り、平和の尊さを考える日です。
学童集団疎開の歩み
当時の日本では、親戚などを頼る「縁故疎開」が勧められましたが、頼る先のない子どもたちのために、学校ごとにまとまって移る「集団疎開」も行われました。
- 対象: 国民学校初等科(現在の小学校にあたる)の3〜6年生が中心でした。
- 第一陣の出発: 1944年8月4日に東京から第一陣が出発し、続いて沖縄や大阪、さらに横浜、川崎、名古屋、尼崎、神戸、北九州の各市などからも、周辺の県への疎開が9月末までに集中して行われました。疎開した児童は40万人以上にのぼりました。
- 集団生活: 子どもたちは親元を離れ、寺院や旅館などで先生とともに集団生活を送りました。1945年3月には集団疎開を1年以上続けることが決まり、多くの子どもが終戦後まで疎開先で過ごしました。
疎開先での暮らし
受け入れに恵まれた地域もありましたが、多くの疎開先では食料不足に苦しみ、子どもたちは空腹やホームシックに耐えながら暮らしました。一方で、東京に残った家族が1945年3月10日の東京大空襲などで亡くなり、疎開していた子どもが孤児となる悲劇も起きました。
広告
集団疎開にまつわる知っておきたい話
- 「対馬丸」の悲劇: 1944年8月22日、沖縄から長崎へ向かっていた学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県の悪石島付近でアメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈没し、多くの子どもたちが犠牲になりました。
- 「疎開」という言葉: 「疎開」はもともと、密集した部隊の間隔を広げて攻撃の的になりにくくする軍事用語でした。戦争末期に、都市の住民や工場などを地方に分散させる意味で広く使われるようになりました。
- 建物疎開: 空襲による火災の延焼を防ぐため、都市では建物を取り壊して空き地をつくる「建物疎開」も行われました。その跡地が戦後に道路となった例もあり、広島市の平和大通りなどが知られています。
- 家族を結んだ手紙: 疎開中の子どもと家族が交わした手紙やはがきは今も各地に残され、当時の暮らしを伝える資料になっています。
集団疎開の日を過ごすヒント
- 家族や親戚に、戦争中の経験や語り継がれてきた話を聞いてみる。
- 地域の平和祈念館や資料館を訪ね、疎開した子どもたちの手紙や日記に触れてみる(オンライン展示も含む)。
- 家族と食卓を囲めることや、安心して学べることなど、当たり前の日常を見つめ直す。
- 戦争や避難をテーマにした本や映画に触れ、今の世界で起きていることと重ねて考えてみる。
子どもたちの経験を、次の世代へ
6月30日は、戦争のさなかに家族と離れて暮らした子どもたちの経験に思いを寄せる日です。当時の子どもたちの多くは今では高齢となり、直接話を聞ける機会は少なくなっています。今日は、その経験に触れ、平和な日常の大切さを考えてみてはいかがでしょうか。
朝礼・スピーチで使える一言ネタ
今日6月30日は『集団疎開の日』です。1944年のこの日、都市の子どもたちを空襲から守るため、地方へ移す方針が閣議決定されました。8月から始まった疎開で、親元を離れた子どもは40万人以上。空腹や寂しさに耐えた日々がありました。今日は家族と囲む食卓を、少しありがたく感じてみたいですね。
朝礼・社内報・スピーチの話題にそのままお使いいただけます。
PR 関連商品