9月
19日
子規忌
歴史的記念日最終更新:
子規忌(しきき)とは
9月19日は「子規忌」です。俳人・正岡子規(まさおか しき)が1902年(明治35年)9月19日に亡くなったことに由来する忌日で、俳句・短歌・文学に大きな足跡を残した子規を偲ぶ日です。俳句界・文学界では、この日に子規の功績を振り返る催しが行われることもあります。
なぜ9月19日が「子規忌」なのか
子規は結核性脊椎炎(脊椎カリエス)により34歳で亡くなりました。晩年は病床に伏しながらも創作を続け、多くの俳句・随筆を残しました。その命日である9月19日が「子規忌」として定着しています。
- 1902年9月19日: 子規が東京・根岸の自宅で逝去。
- 俳句革新の象徴: 写生を重視し、近代俳句の基礎を築いた。
- 三つの呼び名: 辞世の句に詠まれた糸瓜にちなむ「糸瓜忌(へちまき)」、雅号「獺祭書屋主人」にちなむ「獺祭忌(だっさいき)」とも呼ばれる。
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正岡子規とは
正岡子規は、俳句・短歌・随筆・評論など幅広い分野で活躍した明治期の文学者です。俳句の革新運動を主導し、近代俳句の父と称されます。
- 本名: 正岡常規(つねのり)。
- 出身: 愛媛県松山市。
- 俳句革新: 写生を重視し、自然をありのままに詠む姿勢を提唱。
- 短歌改革: 伝統的な歌風に新しい視点を持ち込み、近代短歌の礎を築いた。
子規の代表的な作品・言葉
子規は生涯に数多くの俳句を残しました。ここでは代表的な句を一部紹介します。
- 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
- 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
- 松山や秋より高き天主閣
子規忌にまつわる興味深い知識
- 子規庵: 子規が晩年を過ごし、息を引き取った東京・根岸の住まいは「子規庵」として公開されている。墓所は東京・田端の大龍寺にある。
- 写生の精神: 子規の「写生」は俳句だけでなく絵画や文学全般に影響を与えた。
- 病牀六尺: 死の直前まで新聞『日本』に連載した随筆『病牀六尺』は、病床の自分を客観的に見つめた記録として今も読まれている。
- 野球との関係: 子規は野球が日本に入ってきたばかりのころの熱心な選手で、幼名「升(のぼる)」にちなむ「野球(のぼーる)」という雅号を使ったこともある。「打者」「走者」「四球」「直球」などの訳語を考え、2002年には野球殿堂入りした。なお、ベースボールを「野球(やきゅう)」と訳したのは中馬庚(ちゅうまん かなえ)である。
子規忌を味わうヒント
- 子規の俳句や随筆を読み、写生の精神に触れる。
- 子規庵や松山の「子規記念博物館」を訪れてみる。
- 秋の自然を観察し、自分でも俳句を詠んでみる。
- 子規が愛した柿や季節の食べ物を楽しむ。
病床にありながらも、自然と人生を鋭く見つめ続けた文学者を偲ぶ日
9月19日の「子規忌」は、正岡子規の生涯と文学への情熱を振り返る日です。短い生涯の中で残した言葉は、今も多くの人の心に響き続けています。
朝礼・スピーチで使える一言ネタ
今日9月19日は「子規忌」です。俳人・正岡子規が1902年のこの日、34歳で亡くなりました。子規は大の野球好きで、「打者」「走者」「直球」といった訳語を考え、野球殿堂入りもしているんです。好きなことへの熱中が後世に残る、いい話ですね。
朝礼・社内報・スピーチの話題にそのままお使いいただけます。
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