9月
5日
ポーツマス条約調印記念日
歴史的記念日ポーツマス条約調印記念日とは
9月5日は、1905年(明治38年)に日露戦争を終結させた「ポーツマス条約」が調印された日です。アメリカ・ニューハンプシャー州のポーツマス海軍造船所で、日本全権・小村寿太郎とロシア全権・セルゲイ・ウィッテとの間で条約が結ばれ、およそ1年半に及んだ戦争に終止符が打たれました。
ポーツマス条約の主な内容
- ロシアは北緯50度以南の樺太(サハリン)を日本に譲渡
- ロシアは日本が韓国において指導・保護・監理の措置をとることを妨げないと承認
- 日露両国は満州から同時に撤兵し、満州を清国に還付
- ロシアは清国の承認のもと、長春〜旅順口間の鉄道の権益を日本に譲渡
この交渉はアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介により実現し、ルーズベルトはこの功績により翌1906年にノーベル平和賞を受賞しています。
条約に沸き立たなかった日本国内
日露戦争では日本が辛くも勝利を収めたものの、実際には戦費・人的損失ともに極めて大きく、国民の多くは「賠償金」を強く期待していました。しかしポーツマス条約には賠償金の規定が一切なく、この結果に不満を募らせた民衆が日比谷公園に集結し、暴徒化する「日比谷焼打事件」が発生するなど、国内は騒然となりました。
東アジアの勢力図を変えた条約
ポーツマス条約により日本は大国ロシアに対する優位を国際的に認められ、朝鮮半島や満州における影響力を大きく拡大させました。この結果は後の韓国併合(1910年)や満州進出の布石ともなり、20世紀前半の東アジア情勢に大きな影響を及ぼしました。
今日の過ごし方
- 日露戦争や日比谷焼打事件について、歴史資料や書籍で調べてみる
- 小村寿太郎やセオドア・ルーズベルトなど条約に関わった人物について学んでみる
- 「勝っても割に合わない戦争」という視点から、戦争の代償について考えてみる
- ポーツマス(アメリカ)と日本の関係の歴史をたどってみる
勝利の裏にあった、割り切れない代償
ポーツマス条約は、戦場での勝利が必ずしも国民の納得できる結果につながるとは限らないことを示した出来事でもあります。9月5日は、遠いアメリカの地で交わされた一枚の条約が、その後の日本とアジアの歴史をどれほど大きく動かしたかに思いを馳せる日です。
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